「国境を越えて、憎しみを越えて──自由のための共同行動」

2025年6月5日
アリック・リー
レイディー・リバティー香港 代表理事
第9回 チベット世界国会議員会議(WPCT)
セッション8:共通の課題に立ち向かうための共通基盤の構築
2025年6月4日 衆議院第一議員会館(東京)


ご列席の国会議員の皆様、各国からのご来賓の皆様、そして世界中の友人の皆様へ、

本日、このような場でお話しさせていただく機会をいただき、誠に光栄です。特に本日6月4日は、私たちの多くにとって、政治的抑圧の記憶と深く結びついた、特別な意味を持つ日です。

1989年6月4日──天安門事件が起きた日です。
あの日、北京では数千人の学生と市民が、民主主義・透明性・改革を求めて平和的に立ち上がりました。
それに対して中国共産党が応えたのは、対話ではなく、戦車と銃弾でした。

この虐殺は、中国にとっての悲劇であると同時に、世界にとっても歴史の転換点となりました。
それは、権威主義体制に「殺しても罰せられない」という教訓を与え、
そして中国の人々には「真実は恐怖によって封じられる」という現実を突きつけました。

しかし、真実は消えません。
それは今も、記憶の中に、ろうそくの灯に、証言に、そして今日ここで私たちが語る言葉の中に、生き続けています。

香港では、毎年6月4日にビクトリア・パークに集い、犠牲者を追悼し、その勇気を称え、記憶を受け継いできました。
その集会は、平和的で、合法的で、そして非常に心を打つものでした。
しかし2020年以降、国家安全維持法のもとで、その追悼は禁じられ、主催者は逮捕され、会場は封鎖され、ろうそくの灯は消されました。

今も拘束されている一人に、鄒幸彤(チョウ・ハントン)さんがいます。
彼女は人権弁護士であり、「中国における愛国民主運動を支援する香港市民支援連合会」の中心メンバーでした。
彼女の「罪」とされたのは、ただ人々に天安門事件の犠牲者を記憶するよう呼びかけただけの行為です。
本来それは、犯罪ではなく、私たちが果たすべき倫理的責任であるはずです。

そしてもう一人、今日ここで必ず言及すべき人物がいます。
それは黎智英(ジミー・ライ)氏──香港で最後の独立系新聞「蘋果日報(Apple Daily)」の創設者であり、
一生をかけて言論の自由と民主主義を信じてきた出版人・企業家です。

彼は2020年から現在に至るまで収監されており、77歳となった今も「外国勢力との共謀」など、あいまいな罪状で裁かれています。
しかし、彼が本当に訴えていたのは、平和的な政治改革、自由な言論の権利、そして香港が真実を語る場所であり続けられるという希望です。

こうした事例は決して例外ではありません。
それは、「記憶」を脅威と見なし、「人間性」を障害とみなす体制の本質が露わになった結果です。

だからこそ、今回のWPCTが東京で開催される意義は非常に大きいと感じています。
ここ日本では、まだ私たちには「語る自由」「集う自由」「記憶する自由」が残されています。
そしてこの会議を東アジアに持ってきたことで、チベットの闘いが、
中国の影響力が拡大するこの地域にとって、いかに切実な課題であるかが明るみに出たのです。

これは、チベットだけの問題ではありません。
香港だけの問題でもありません。
それは、社会が健やかに機能するために不可欠な「真実」「正義」「自由」という原則を守るための闘いです。

私は香港人として、チベットの闘いに強い共感を抱いています。
チベットと同じように、香港も「高度な自治」を約束されました。
しかし、その約束は、同じように踏みにじられました。

それでも、チベットの人々は、尊厳と忍耐のモデルを私たちに示してくれました。
60年以上にわたる占領と亡命生活の中で、彼らは生き延びただけでなく、
言語、文化、宗教、そして倫理的な明晰さを守り抜いてきました。

私たち香港ディアスポラにとって、皆さんは単なる「連帯者」ではありません。
私たちの「師」です。
皆さんが教えてくれたのは──「抵抗は可能であり、持続可能であり、平和的でもありうる」ということです。

私たちも、平和的な抵抗と多様性を信じています。
私たちは、体制を打倒することや、敵を屈服させることを目的にしているのではありません。
私たちが闘っているのは、すべての人の尊厳──
漢族、チベット族、ウイグル族、南モンゴル人、台湾人、そして香港人を含む全ての人の尊厳を守るためです。

中国が世界中で影響力を強める中、私たちは踏みとどまらなければなりません。
憎しみではなく、誠実さをもって。
壁を築くのではなく、価値を築くことによって。

私たちの目的は、抑圧する体制を打ち砕くことではありません。
私たちの目的は、他の誰もが同じ苦しみを味わわずに済むようにすることです。
私たちが痛みの中から学んだ「勇気・思いやり・非暴力」は、世界と共有されるべきものです。
私たちは、自由と平和の「案内人」とならなければなりません。
それは復讐のためではなく、責任のために。

昨日、私たちは劉暁波(リウ・シャオボー)氏の死から8年を迎えました。
2010年ノーベル平和賞受賞者であり、刑務所の中でも彼はこう語りました。
「私に敵はいない」と。

その言葉は、傷ついた者にとっては非現実的に聞こえるかもしれません。
しかし、その「不可能性」の中にこそ、希望が宿るのです。

ダライ・ラマ法王もまた、真の変化とは「他者を打ち負かすこと」ではなく、
「自らを変えること」にあると教えてくださいました。
憎しみは一時的に力を与えてくれるかもしれませんが、
長い目で見れば、私たちを内側から蝕んでいきます。

だから私は、香港の仲間たち、そしてすべての抑圧下にある人々に呼びかけたいのです。
どうか「憎しみ」を手放してください。
「攻撃性」を手放してください。
そして「復讐心」を手放してください──
それは体制だけでなく、仲間内での対立においても同じです。

抑圧は「恐れ・疑念・分断」を生み出します。
しかし、それをそのまま私たちの運動に持ち込んでしまえば、
私たちは、乗り越えようとした暴力を、自ら再生産してしまいます。

だからこそ、私たちは「規律と愛と明晰さ」を持って行動しなければなりません。
そうして初めて、私たちは「苦しみによって定義される未来」ではなく、
「私たちが与えたものによって形作られる未来」を築けるのです。

私たちの共通点は、「痛みの共有」にあるかもしれません。
しかし、そこから芽生えるのは「共通の価値観」──
非暴力、対話、そして思いやりへの深いコミットメントです。

それは単なる理念ではありません。
それは、生き延びるための戦略です。
そして、権威主義が広がるこの時代においては、
おそらく、私たちに残された唯一の希望でもあります。

どうか皆さん、共にこの灯火を受け継いでください。
「過去の被害者」としてではなく、
「より自由で人間的な未来を守る者」として。

ご清聴、ありがとうございました。

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正義はまだ果たされていない──元朗721事件を忘れない