講演録|八九・六四天安門事件37周年記念東京集会

2026年6月3日(水)、台風ジャンミーが東京を直撃するなか、早稲田奉仕園 スコットホールにて、八九・六四天安門事件37周年記念東京集会を開催しました。

当夜、国内外から計15名の方々が登壇され、香港・中国・チベット・ウイグル・国際人権の現在について語ってくださいました。本ページは、その当日のスピーチ全文を、できるかぎり原文に忠実に書き起こしたアーカイブです。

中国語でなされた2件のスピーチ(伍雷氏・吾爾開希氏)については、当日の通訳に基づく日本語訳を併記しています。


日時 2026年6月3日(水) 18:00–20:30
会場 早稲田奉仕園 スコットホール
主催 天安門事件追悼実行委員会
構成団体 Lady Liberty Hong Kong/アムネスティ・インターナショナル日本/アジアと中国の民主化フォーラム/民主中国陣線/中国民主団結連盟/対話中国日本支部 ほか
司会 王進忠/井出慶太郎(アムネスティ・インターナショナル日本)
動画記録 YouTube(全編・約2時間)


1. 開会・趣旨説明|井出慶太郎

所属: アムネスティ・インターナショナル日本/本集会実行委員(司会) 時刻: 00:09

本日は皆様、大変お足元の悪い中ご来場いただきましてありがとうございます。ただいまより「八九・六四」天安門事件37週年記念東京集会を開会したいと思います。

本日の司会は当集会実行委員の王進忠、並びにアムネスティ・インターナショナル日本の私、井出慶太郎が務めさせていただきます。

それでは私より本会の趣旨を説明させていただきたいと思います。改めまして本日はお忙しい中、多くの方々にご出席いただき、また新聞社、テレビ局を始め報道各社の方々にもご取材にお越しいただき誠にありがとうございました。

例年は衆議院議員会館で天安門事件追悼集会を行ってまいりましたが、今年はより多くの方々に来ていただきやすいよう、この早稲田奉仕園スコットホールで行うことにしました。

今回の集会では、天安門事件の指導者の1人であるウアルカイシさんに、亡命先から来日していただき、また中国、日本の研究者を始め、香港、チベット、ウイグルの当事者組織を代表する方々、そして2大国際人権団体の専門家をお呼びし、まさしくこの分野でのオールスターのゲストに登壇していただくこととなりました。

今夜は天安門事件から37年目を迎える6月4日の前夜であり、改めて命を落とした多くの方々に対して哀悼の意を示したいと思います。この37年の間に中国は大きく変わりましたが、亡くなった方々が思い描いていた理想は今も実現しておりません。しかし彼らが中国の進歩のために求めた熱意は、今も民衆の中で生き続けています。

100年前の話になりますが、孫文は日本亡命中にこの早稲田界隈に滞在し、また国民党の蒋介石、共産党の李大釗を始め、多くの中国人留学生たちが早稲田に居住しておりました。彼らは中国に帰国した後、近代中国の礎を築くこととなります。この早稲田奉仕園も辛亥革命の3年前(1908年)に大隈重信の意向によって創設され、多くの中国人留学生と関わってきました。

まさにこの地は近代中国の故郷の1つであり、今日この集会をこの歴史あるスコットホールで行うことは大変深い意味があります。天安門事件への追悼を通して、今日この集会から新たな波が生まれ、やがて中国の民主化にとって新しい夜明けを起こすことを願っています。次の100年が過ぎてから振り返れば、歴史に残るような有意義な集会にしたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

それでは最初に、実行委員会の王進忠より天安門事件の犠牲者の方々を追悼するために、1分間の黙祷を行いたいと思います。


2. 黙祷|王進忠

所属: 本集会実行委員 時刻: 01:44:14

為天安門廣場死難的学生、市民、みんな黙祷1分間。

(1分間の黙祷)

お直りください。どうぞご着席ください。


3. 開会の挨拶|牧野聖修

所属: 元衆議院議員/元経産副大臣 時刻: 06:00

皆さん、こんばんは。本日は大変お忙しい中、そして予想外の台風が来たと、そういう天候の中にもかかわらず、また万障を繰り合わせていただいた方も多数いらっしゃると思っておりますが、この1989年六四天安門事件追悼のこの集会にご参加をいただき、この集会が本当に意味あるものになりますこと、これ全て皆様方のお力添えとして心から御礼を申し上げます。本当に皆さん、今日はありがとうございます。

冒頭でありますが、先ほど司会の方からも一部紹介がありました。37年前、中国で天安門事件がありまして、その時の中国の若者の理想と情熱が世界を感動させていました。そのことから世界各地域で、日本もそうでしたけれど、アメリカ大陸でも、ヨーロッパでも、アフリカでも、ラテンアメリカでも、新しい民主主義、自由、そういうものを求めて大きな対話をし、各国の歴史が変わるようなことがいっぱい起こってきたわけであります。

その時の原点は何と言っても、37年前の天安門の時の若者たちの理想と情熱にあったのではないかと、私はしみじみ感じております。

そういうこともありまして、私が1993年に衆議院議員になりまして、その次の次の年ですか、30年前になりますが、たまたま東京の中野で、天安門事件の時の指導者の1人であったウアルカイシさんとお会いいたしまして、その時に命がけで自分たちの民主主義と自由を守って作っていこうというそのことに、私は深く感動いたしました。初めて日本の国会議員の中に「中国の民主化のための議員連盟」を作って、こういう中国の民主化を支えていく活動をしようということで議員連盟を作ったことがあります。

それから考えてみますと、ウアルカイシさんとは30年が経っているわけでありますが、今日のこの集会があるということで、大変お忙しいところを日本に駆けつけていただきました。最初に恐縮でありますが、ウアルカイシさん、どうぞ皆さんから拍手を1つお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

(会場拍手)

ありがとうございました。それこそ37年前と言いますけれど、あの頃の中国の実態はどうだったっていうと、本当に世界のいろんな識者、経済人、すべての皆さんが中国共産党のその力に押し込まれましてですね、中国の実態についての批判を誰もしたことがない、そういうことでございました。

その中で、あの天安門で立ち上がった当時の本当の若い学生の皆さん方が、勇気と情熱を持って中国の国の自由・民主のために立ち上がったということは、本当に歴史的に大きなことでございまして、中国のみならず全世界に大きな光を投げかけたということが多かったと思います。

私はその時のことを忘れずに、やはりあの自由と民主、そして博愛というものは何よりも大切だということを、これからも大勢の皆さんと一緒になって理解しながら、さらにその運動を進めていけるようになればいいなと、このように思っております。

そして天安門から香港ということ、1つの流れが香港の若い皆さんのところにたどり着きまして、ご案内のようにお隣の香港でも、本当にあの圧政の中にありながら、香港の皆さんが新しい香港を求めて立ち上がったことがあります。その時の中共政府の弾圧によって、かなり大勢の若者がこの日本に逃げてきて、新しい人生を始め、新しく勉強したりしている人たちが(日本に)いっぱいおりますけれども、その皆さんと天安門事件の時の皆さんと手をとり合いまして、今、新しい運動を進めているわけであります。

私は最初からこの運動に関わっていたものとして今つくづく感じますのは、やはりあの37年前の我々の思いと考え方に対して、香港で生まれてきた新しい皆さんの考え方は、やはりあの時代を引っ張っていく力がありますね。私は本当に素晴らしい若者たちだなとこのように思っておりまして、どうぞ皆さん、あの天安門で生まれた流れが今に来て、また新しい流れに変わってきておりまして、この流れをみんなで持って大切に、この流れを大きなものにしていかなければいけないと、このように感じております。

どうぞ皆さん、香港の皆さんの一言の中に、私の印象に残る言葉にこういうのがあります。「新しい劇場を私たちは作りたいんだ」という言葉が私の耳に残りました。

人間の1人として、歴史の流れを受け止めた香港の皆さんのその情熱を、さらに我々1人1人のものとして、この新しい宇宙時代にあったこの人類社会が出てくるようにみんなで努力していくようになったらいいなと思いますし、今日がその一歩にまたなってくれれば大変ありがたいと、このように思っております。

この手の集会をあちらこちらでやってまいりましたけれど、今日のようにこんなに神聖な会場でこの手の会合をしたのは初めてでございましたので、我々の気持ちに、この運動に神様の力がまた加わってくれるんじゃないかなということを心から申し上げながら、開会のご挨拶に代えたいと思います。本日は皆さん、どうもありがとうございました。


4. 講演|阿古智子

所属: 東京大学大学院 総合文化研究科 教授 時刻: 13:50

皆さん、こんばんは。本当は順番を1番最後に回してもらおうと思ったんですけれども、私よりも若い人たちにもっと前に出ていただきたかったです。ちょっとあの後の予定があって1番にしていただきました。申し訳ありません。

この天安門事件の記憶というか、私は天安門事件を日本で見ていました。高校生の時でした。大学受験を控えた時だったんですけれども、私が中国について関心を持ち始めたのは、やはりあの事件が大きな影響を与えたと思います。「どうしてこういうことが起こってしまうのか」「自分の国の国民に銃を向けるのか」という中国の場面を見て、そして中国を研究したいという風に思いました。

その後、私は香港大学に留学をします。香港大学で、今日あの展示にありました「国恥の柱(Pillar of Shame)」ですね。あれ、香港大学のキャンパスにあったんですね。それも今は国安法のもと、香港のキャンパスの中には置いておくことができない状況です。

香港では毎年記念集会が開かれていましたけれども、先ほどのページ(要請書)のところにもご紹介があった、鄒幸彤(チョウ・ハントン)さん。非常に勇気がある女性だと思うんですけれども、彼女は中国の人権派の人たちと一緒にいろんな活動をしていて、私も労働問題などで一緒に取り組んだことがありますけれども、そういった香港の仲間たちも今は刑務所に入っているというような状況です。

あと、私は北京に90年代の半ばから2000年代にかけて住んでいました。そして度々、子供を連れて家族でも北京に行きましたけれども、その時に一緒に活動をしてた、この前にいる伍雷君のお父さんたちですね。ああいう天安門事件の時にハンガーストライキをやったりとか活動をしていた、そういう知識人、公共知識人と言われるような人たちや、人権派弁護士、あるいはそういった状況を伝えようとしていたジャーナリストたちが、今、中国でもう声を上げることができない状況であるということです。

今日の展示のテーマが「記憶が罪になるとき」というようなテーマですけれども、それについて、実を言うとここに(会場に)来ている人たち、マスクをしている人たちも、今の中国・香港もそうですけれども、この場にいるだけで、一緒にこの記憶を伝えていこうとするだけでも罪になってしまうわけなんですよね。

「なかったこと」にしてしまう、でもそれについて「なかったことにしたくない」っていう人たちがたくさんいます。香港にも、中国にも。

そういう若い人たちは、ここ(公の場)に来るとやはり目立ってしまうから、警察も監視しているし、来られないかもしれないけれど、忘れ去られることに抵抗して、いろんな形で映像として残したり、コロナの時の記憶もそうですし、天安門のあの時代にまだ生まれていなかった若い世代の人たちも、上の世代から話を聞いて、自分たちの国の歴史を伝えていこうとしていると思います。

すごく印象的だったのが、あの展示を見に来た1人の女の子。その子は今、中国から日本に来て滞在している人ですけれども、最初「こんな展示があるよ」って話した時に、彼女はやっぱりこういうところに来るのが怖いんじゃないかなと、「誰に見られているか分からないから怖いんじゃないかな」と思ったんですけど、来たんですね。見に来たんですね。

で、彼女に感想を聞いたら、心に響く言葉を言いました。「こういう歴史を伝えてくれる人がいるということを誇りに思う。そして自分たちも伝えていきたい」と言ってくれたんですね。

ですから、香港大学のあの「国恥の柱」、国の恥っていうのは、やはりそういう歴史を伝えられない国であるということは、やっぱり恥ずかしいことだと思いますね。これは日本にも言えることです。日本も今、非常にこういう活動をする上で重要な場になってきているわけなんですけれども、民主主義の国として、それをちゃんと伝えているのかというと、やはりそこのあたりも考えなければいけない問題だと思います。

ですので、今回、香港の「レイディー・リバティー香港」たちの展示をしっかりやって、そして新しい世代がまた伝えるような活動をしてくれていることを、私も心強く思いますし、この場にいられないけれど、記憶を一緒に伝えようとしているような人たちのことも頭に置いていただいて、一緒に頑張っていきたいなという風に思います。はい、皆さんありがとうございました。


5. 開会挨拶|李伊東(アリック・リー)

所属: Lady Liberty Hong Kong 代表理事 時刻: 19:40

皆さん、こんばんは。今日、外はずっと雨が降っていました。私は今、皆さんの顔を見ながら、ある夜の思い出を出しています。

2013年6月4日のビクトリア公園(維多利亞公園)。その夜は大雨でした。それでも15万人を超えて集まりました。ローソクが消えるたびに、隣から火を回し合いました。今夜、雨の中、ここに駆けつけてくださって本当にありがとうございます。

今日この会は、私たちが「記念集会」と名を打っています。ですが、私は皆さんに1つ、正直に申し上げたいことがあります。これは過去を懐かしむための会ではありません。1989年に始まったことは、今でも続いています。

香港では、この一週間でも天安門事件について本当のことを話したという、ただそれだけの理由で人が裁かれています。「香港市民支援愛国民主運動連合会(支連会)」の元幹部の方々、鄒幸彤(チョウ・ハントン)さん、李卓人(リー・チェクヤン)さん、また何俊仁(アルバート・ホー)さん。罪名は「国家政権転覆扇動罪」として、3人は1700日を超えて拘留されています。判決は今月の中旬に下される予定です。

そして、今夜は皆さんにもう1つお伝えしたいことがあります。その3人のうちの鄒幸彤さんは今、刑務所の中でハンガーストライキを続けています。私たちがこの会場に集まっているこの瞬間でも、彼女は食事を拒否しています。刑務所の中からあの声を上げ続けているのです。

鄒幸彤さんがこれまで書き続けてきた言葉は、私なりに一言にまとめるとこうなると思います。

「政権がもっとも恐れているのは、人々が、忘れることを拒むこと。」

そして今日、今夜、彼女の今の姿を見ていると、もう1つ付け足さなければいけないと私は思います。それは「忘れることを拒否すること」、そして「黙ることを拒絶すること」です。

今夜は私たちのこの会場に、台湾からウアルカイシさんがいらっしゃいます。ウアルカイシさんは1989年、香港の人々によって命を救われた1人なんです。あれから37年ですよ。ウアルカイシさんが今夜、東京で私たちの前で言葉を発する、そのこと自体が、香港にとって、この30年間何のために本当に、何をやってきたのか、これに対する答えになるのではないかと私はそう思っています。

2013年、ビクトリア公園のローソクは、あの大雨の中でも消えていませんでした。私たちの戦いはまだ終わっていません。そして特別な記念碑だけが(記憶の場)であるのではありません。私たちが毎日、本当の言葉を話すことを続ける、そういうことの中に(記憶は)生きています。この光は、ここにいる皆さん1人1人の中にあります。長くなりました。今日もよろしくお願いいたします。


6. 連帯のメッセージ|アリヤ・ツェワン・ギャルポ

所属: ダライ・ラマ法王日本代表事務所 代表 時刻: 23:58

皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました、ダライ・ラマ法王日本代表事務所代表のアリヤと申します。よろしくお願いします。

今日、この天安門事件37年記念集会に、私をご紹介いただきましてとても光栄に思います。また、主催者の皆さんの方からは、この前で少しの言葉を述べるようにという機会をいただきましたことは、心より御礼を申し上げたいと思います。

皆さんご存知の通り、今からそうですね、37年前には中国人の若者たちが中国の民主化のために蜂起しました。その若者たちと中国国民の要求は「自由」と「民主主義」でした。残念ながら、政権はこの蜂起を残酷に弾圧し、多くを殺害しました。また、多くを逮捕しまして、また多くの人々が我々チベット人みたいに外国へ亡命せざるを得なかった状況になりました。一応、ここにもたくさん、ウイグルを始め、たくさんの人がいると思います。

私はこの事件と、その後の抑圧・弾圧に犠牲となり亡くなった大勢の中国の方々に、深い敬意と哀悼の意を申し上げたいと思います。我々チベット内外によるチベット人は、自由と民主主義を求めて戦う中国の人々に連帯の意を表明します。

ご存知の通り、中国は素晴らしい学問と文化を持つ偉大な文明国家であります。国際社会には大いに貢献できる能力を持っています。残念ながら、中国政権はこの偉大な国の文明を破壊し、今、中国を抑圧的な監視国家に変えてしまいました。

近年からは、政権は中国だけではなく、チベット、ウイグル、南モンゴル、台湾、香港、そして世界中にスパイネットワークを広げています。

去年2月には、タイ国から約40人の難民の強制送還を要請されたことで、3月には中国警官によってチベットの古僧、ホンカク連ポがベトナムから逮捕・連行されるなど、とても非人道的な扱いと国際犯罪が行われています。

最近のニュースでは、カリフォルニアの市長が中国のスパイだったことや、また英国(議会)のスタッフ2人が中国のスパイだったこと、ニューヨーク市には中国の秘密警察署があること、日本にもこういうのが前あったそうですね。こういう国境を越えての弾圧と侵入はとても危ないことであります。

今、中京政権はアジアと世界平和の妨げになっております。東南アジア諸国と日本、インド太平洋諸国でとても危ない地域になっています。台湾への継続的な脅かし、また香港の民主主義の破壊、インド領土への侵入、こういう侵略的行動の動機としては何かというと、それは中国国民の繁栄と幸せではなく、それは中国政権のこの抑圧的な支配を継続的に維持するためであります。

我々はもし、アジアの自由と世界の平和を求めるのであれば、最初に中国を中国共産党から解放する必要があります。中国が自由と民主主義国家になることはとても大事です。中国が民主国家になり、中国人の国民によって(政府を)批判することになったら、この世界の多くの問題は自然に解決できるようになります。そのため、我々みんな、中国の兄弟姉妹と共に、中国の民主化活動に頑張る必要があります。

我々チベット人は、中京政権が発表しているように「反中国」でもなければ「反中国人」でもありません。我々が抗議と反対しているのは、中京の私たちの土地、文化、言葉、宗教、自由、民主主義を残酷に奪おうとするひどい邪悪な政策であります。

私はこの場を借りて、中国の民主化のために命を捧げた、2010年のノーベル平和賞受賞者の劉暁波(リウ・シャオブオ)氏を始め、勇敢な民主化活動家たちに尊敬と感動を表します。

また、中京政権に、チベットのパンチェン・ラマ、香港のジャーナリストのジミー・ライ、去年7月に行方不明になった中国人の若い女子大学生、張雅(ジャン・ヤー)を始め、すべての政治犯を今すぐ釈放するよう強く要求します。

最後に、我々チベット、南モンゴルの人々は、自由と民主主義のために戦い続けている中国、台湾、香港の兄弟姉妹と共に歩むことを宣言し、中国に自由と民主主義が1日も早く訪れますようにお祈りいたします。

そして、我々はみんな力を合わせて団結し、法の教えのもと、自由・民主主義で世界平和のために頑張っていきたいと思っておりますので、皆様のご指導・ご協力のほどよろしくお願いいたします。ご清聴ありがとうございました。


7. 講演|田中サウト

所属: 日本ウイグル協会 副会長 時刻: 32:00

皆様、こんにちは。先ほどご紹介いただいた、日本ウイグル協会副会長の田中サウトです。本日は、8964事件37週年の記念集会にお招きいただき、心より感謝を申し上げます。

まず、1989年6月4日、中国共産党による武力弾圧によって命を奪われた学生、市民、そして自由と民主主義を求めて立ち上がったすべての方々に、深い哀悼の意を表します。

実は、私たちウイグル人もあの天安門事件と関わっています。我々の大先輩ですが、ウアルカイシ氏を始め、当時北京に留学していたウイグル人学生たちも、天安門のこの運動に積極的に関わっていました。在日ウイグル人の中にも、これに関わった当事者が複数います。

37年前、多くの若者たちが北京の天安門広場に集まりました。彼らが求めたものは、決して暴力や革命ではありませんでした。汚職のない政治、言論の自由、民主的改革、そして人間としての尊厳を持って生きる権利です。

しかし、中国共産党は対話ではなく、戦車と銃弾によって答えました。その結果、多くの尊い命が奪われ、事件後には徹底した情報統制が行われました。現在の中国では「64」という言葉すら自由に語ることはできません。若者の中には、事件そのものを知らない人は少なくありません。

しかし、歴史を消し去ることはできません。天安門事件は、中国共産党が自由を求める行為に対してどのように向き合う政権なのかを世界に示した、歴史的事件でした。

当時、西側諸国には「中国が経済発展すればいずれ民主化するだろう」という期待がありました。しかし中国共産党は、天安門事件で学生たちを武力弾圧した事件で、民主化を拒絶するという明確な答えをすでに示していたのです。

そして現在、習近平政権の下で進められている強権政治は、まさにその延長線上にあります。私はウイグル人として、この問題を決して過去の出来事として見ることはできません。なぜならば、今まさに東トルキスタン、いわゆる新疆ウイグル自治区で起きていることは、天安門事件の延長線上にあるからです。

現在、ウイグル社会は巨大な監視システムのもとに置かれています。顔認証、スマートフォン監視、DNA採取、宗教活動への制限など、人々の日常生活のすべてが管理されています。さらに2017年以降、300万人とも言われる罪のないウイグル人々が、「再教育施設」という名の強制収容所へ送られました。彼らは家族と引き離され、自らの言語、宗教、文化を否定され、中国共産党への忠誠を強制されています。

また、強制労働、強制不妊手術、児童の隔離教育など、深刻な人権侵害も行われています。特に強制労働の問題は、日本とも無関係ではありません。ウイグル人労働によって作られた製品が、日本の市場に流入している現実があります。

さらに、ウイグル人の子供たちは親から引き離され、中国語教育を中心とした全寮制の学校へ送られています。これは単なる弾圧ではありません。民族の文化、宗教、アイデンティティを消し去ろうとする「同化政策」です。

今年3月、中国政府は全国人民代表大会で「民族団結促進法」を採択し、7月から施行する予定です。この法律によって、漢民族以外のウイグル、チベット、モンゴルを始めとする各民族への強制同化政策は、さらに強化されることは間違いありません。

ウイグル人と漢民族の平和的共存を訴えた経済学者のイルハム・トフティ氏、またウイグルの民間伝承を研究していたラヒレ・ダウット氏を始め、多くのウイグル人知識人や学者たちが拘束されました。また、中国の民主化を訴えたノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏も、投獄され自由を奪われたまま亡くなりました。中国共産党が本当に恐れているのは暴力ではありません。真実を語る声であり、人間の自由への願いです。

近年、国際社会はようやくウイグル問題に注目し始めました。アメリカ、カナダ、イギリスなど多くの国々が、中国政府によるウイグル人迫害を「ジェノサイド」あるいは「人道に対する罪」と認めました。2022年、日本の国会でもウイグル等における深刻な人権状況に対する決議が採択されました。

しかし現実には、今も多くのウイグル人が自由を奪われ、家族の消息すら分からない状況が続いています。私自身もその1人です。

天安門事件が歴史の悲劇であるならば、ウイグルジェノサイドは「現在進行形」の悲劇です。だからこそ、私たちは沈黙してはなりません。事件を記憶することは、中国共産党による歴史の抹消に抵抗することです。そして、ウイグル人の苦しみに声を上げることは、未来の新たな悲劇を防ぐことにつながります。

自由、人権、民主主義は、漢民族だけのものでも、ウイグル人だけのものでもありません。これはすべての人類に共通する普遍的な価値であり、誰もが享受すべき基本的な権利です。そしてウイグル人、モンゴル人、チベット人を始め、各民族には自らの将来を決定する「民族自決権」が保障されなければなりません。

どうか皆様、事件を忘れないでいただきたい。そして、今も続くウイグル人への弾圧にも関心を持ち続けていただいきたい。沈黙は弾圧する側に利するだけです。だからこそ、私たちは声を上げ続けなければなりません。共に自由と人権を守るために行動していこうではありませんか。ご清聴ありがとうございました。


8. 講演|笠井哲平

所属: ヒューマン・ライツ・ウォッチ アジア局 シニア・プログラムオフィサー 時刻: 41:20

皆さん、こんばんは。ヒューマン・ライツ・ウォッチの笠井と申します。本日は貴重な機会にお招きいただきありがとうございます。よろしくお願いします。

私のヒューマン・ライツ・ウォッチでの役割としては、日本政府に対して、また政府を含む各国政府に対して、人権を重視した外交政策をとってもらうというアドボカシー活動を行っております。

まず、天安門事件が起こって37年経った今でも、中国政府は事件の記録を抹消する取り組みを強化していて、同時に中国全国での人権状況が悪化していることが分かっています。

例えば、中国当局は長年にわたり、本土での哀悼行為を禁止してきました。また、犠牲者の遺族への情報提供や補償、あるいは殺害の責任者の起訴に向けた措置は、未だに一切取られていません。

また昨年12月には、中国の天安門虐殺犠牲者の遺族などで作るアドボカシー団体「天安門の母」の新年会を、2009年の開始以来初めて妨害しました。ネット上の締め付けも続いております。中国当局は天安門広場に関するすべての画像を検閲しています。

一方で、変化を促す可能性を秘めている進展も、過去1年でいくつかありました。その1つが、徐勤先(シュー・チンシエン)元中国人民解放軍陸軍少将の、6時間にわたる秘密軍事裁判の動画が流出されたことです。この少将は、中国人民解放軍の軍司令部によるデモ隊への武力行使の命令を拒んだ結果、報道によると5年の刑を宣告され、2021年に亡くなりました。

香港では30年以上にわたり、天安門事件の追悼集会が毎年のように行われていて、数十万人が集まっていました。しかし香港当局は、2020年と2021年に新型コロナウイルスを口実に、毎年の関連の追悼集会を初めて禁止し、2021年には追悼集会を主催していた「香港市民支援愛国民主運動連合会(支連会)」を強制解散させ、同会が運営していた「六四記念館」にも閉鎖を命じました。2022年以降、追悼集会の会場だったビクトリア公園では、虐殺記念日の前後に「愛国フードカーニバル」が開催されています。

こうした人権の弾圧は、中国や香港だけにとどまらず、国境を越えた形で、日本を含む各国で活動する人々に対しても行われていることが分かっています。

まず、ヒューマン・ライツ・ウォッチが2024年に、日本で活動している数十名の中国本土、ウイグル、南モンゴル、チベット、香港など出身の活動家から聞き取り調査を行った結果、中国当局(例えば警察や公安)が、こうした活動家に直接、あるいは各活動家の中国にいらっしゃる家族に対して嫌がらせを行ったり、圧力をかけたりしているということが分かっています。

ですので、中国政府による人権侵害というのは、中国や香港だけの問題ではなくて、日本における結社や表現の自由を脅かしていることが分かっています。

こうした中、本日の追悼集会を企画された方々、そして参加された方々に深い敬意を表します。そして集会において、基本的人権の実現のために戦い命を奪われた方々に哀悼の意を表することで、それがメディアやネットを通じて拡散されることにより、多くの人々にとって天安門事件の現実を知るきっかけになると信じております。さらに、日本政府を含む国際社会への働きかけの一助になると信じております。本日はどうもありがとうございました。


9. 講演|北井大輔

所属: アムネスティ・インターナショナル日本 副理事長/中国チーム 時刻: 46:20

皆さん、こんばんは。アムネスティの北井と申します。

アムネスティはご存じのように、世界2000万人の会員が人権擁護のために活動しております。日本の中では1万人ぐらいの会員がおります。普通の人、普通の市民が人権を守るんだということで活動しております。

今回、この天安門事件37周年記念集会、それからこの下(ギャラリー)でやっております記念の展覧会に、アムネスティも主催団体の1つとして中に入らせていただきました。

今回のテーマが「記憶が罪に問われるとき」という、このチラシに書いてあります。天安門事件を始め、多くの中国での人権弾圧、それを「言葉にして、それを忘れないようにしよう、そこから新たなものを作り出し、繋げていこう」ということを、とにかく「言葉にした」ということだけで捕まえられているというのが、今日ここで度々話題になっている3人の人たち(香港の活動家たち)なんです。アムネスティでは、この人たちを含めて、中国で、あるいはウイグルで、あるいはチベットで、あるいはその他の国も含めて、そういう「言葉を発しただけ」で捕まっている人たちの解放のために活動してきました。

実はアムネスティ自身も、かつて香港に拠点を持っていました。アムネスティの国際事務局の調査部門ですとか、あと東アジア地域の広報を担当する部署が香港にありました。それから今申し上げたような、人権活動をするための市民の集まりとしての(香港支部としての)拠点もありました。

そのいずれもが、「国家安全維持法」のもとで「外国勢力と結託して国の安全を危険に晒す団体である」可能性が疑われ、実際に法的な措置が取られたわけではありませんけれども、そういう強い圧力がかかってきて、2021年にそのアムネスティの拠点は香港からなくなりました。

この「外国勢力との結託」という言葉は、しばしばアムネスティを始めいろいろなNGOに使われている言葉なんです。それは別に中国に限らず、いろいろな国で使われていることがあります。

今日ちょっと、今までお話になったことと違う話を、少し皆様に共有しておかなければいけないと思って用意してきたんですけど、実はこの「外国勢力との結託」という(監視の)言葉を、日本政府が使い始めるかもしれないということを、ちょっとここで一歩皆さんに知っておいていただきたいと思うんですね。

今日の主催者を構成しているヒューマン・ライツ・ウォッチ、それからJFFD(自由人権外交推進議員連盟)、それからアムネスティも含めて、先日、内閣総理大臣宛てに要請書を出していました。要請書の文面はアムネスティのウェブサイトなんかにも載っていますのでご覧いただきたいんですけど、タイトルが「スパイ防止法及び外国代理人制度に関する要請書」というものです。

先ほどから、中国政府のスパイみたいな動きがあるとか、あるいは中国政府が中国国内だけじゃなくて、例えば日本の中で中国の批判をしている人を監視している、弾圧しているネットワークがあるぞというご紹介がありました。それに対して「じゃあ日本は、例えばスパイ防止法を作るべきじゃないか」という発想が今、政治の中で出てきています。

ただ、アムネスティを含めていろんな人権NGOは、この法律がもしこのまま作られてしまったら、日本の中で(海外のドナーや組織と連携して)活動しようとしているNGO団体の活動を縛る方向に行ってしまう可能性があるのではないかと、今非常に懸念をしています。

例えば今申し上げた「外国代理人登録制度(Foreign Agent Registration Act)」というのは、これはいろんな国にある制度なんですけれど、よく言われるのが「外国からの影響を受けて活動するもの、あるいは外国からの資金を受け取る団体は登録をしなければいけない」という書き方がされます。

これ、他国で作られた事例を見てみると、非常に曖昧な運用をされている。先ほど申し上げたロシアであったり、中国であったり、あるいは他の国でも、本当に市民社会を、あるいは人権を言うような団体に対してちょっと狙い撃ちにされていくようなところがあります。

日本政府が今これを導入しようとしている中で、その吉凶については、私たち様々な団体の中でも別に一致した意見があるわけではないんですが、外国の事例を見ても非常に曖昧な使われ方をするので、そこは十分慎重に定義をしてほしい、人権に配慮するということをその条項の中に盛り込んでほしいということを今国会に向けて言っています。

ここで皆さんに是非お考えいただきたいのは、中国、モンゴル、ウイグル、チベット、その他の国々の人権問題についてどういう風な保護をしていくか、関心を持っていただきたいんですけど、同時に日本の中に、例えば今日やったようなこの集会の主催者、また『Lady Liberty HK』さんもそうですけれど、彼らが自由につつがなく、日本の中でも活動できる、そういう自由な社会を日本の中でも維持していかなければならないということを是非、一緒に考えていただきたいと思います。私からは以上です。ありがとうございました。


10. Speech (English)|潘嘉偉(Patrick Poon)

Affiliation: Asian Lawyers Network (ALN) Board Member / Human Rights Measurement Initiative (HRMI) East Asia Engagement Lead Time: 54:05

Hi everyone, good evening. It was 16 years ago after attending the Nobel Peace Prize ceremony that Dr. Liu Xiaobo was still alive, and the organizers arranged an empty chair to honor him, which became his symbol. He was persecuted by the Chinese Communist Party until he died in custody.

I later worked for Amnesty International. I wrote a commentary on foreign policy about fleeing from China to Germany. Later, due to all the daily struggles and moving to the United Kingdom, Belgium, and Japan, I could not finish my PhD thesis that I have been writing for many years. I changed several jobs, then I was seriously ill, and I have been slowly recovering.

As the commemoration of June 4th was approaching, I recalled a lot of memories while writing this speech. I watched the 88-year-old Tiananmen Mothers spokesperson's video to commemorate the anniversary. I found that I recalled this despite all the changes in life. I could not forget about all the memories of the June 4th candlelit vigils at Victoria Park, which have become part of my life.

After attending the Nobel Peace Prize ceremony, I returned to Hong Kong to continue my work on human rights in China. I continued to take part in the annual candlelit vigil at Victoria Park. I could have never imagined that the candlelit vigils would be forcibly terminated by the regime, which brutally snatched our freedom to take part in the assembly.

The Hong Kong Alliance in Support of Patriotic Democratic Movements of China was unreasonably shut down by the government. The Alliance chairperson Chow Hang-tung, Vice Chairperson Albert Ho, and Lee Cheuk-yan --- the government claimed that they subverted the state power like the enemies of the people, based on mainland China's logic. How could the demand for accountability be considered incitement? No others incited us. We voluntarily went to Victoria Park to take part in the assembly, and voluntarily chanted the slogans of "Ending One-Party Rule" and "Release the Political Prisoners." How could it be incitement?

We called for ending the one-party rule. We strongly condemned the Chinese government's brutal massacre on June 4th at Tiananmen Square. Chanting the slogan of "Ending One-Party Rule" --- how shameless it is for a regime to always baselessly accuse citizens of incitement. No matter how self-sufficient the regime is, believing that it is wealthy and powerful, it is terrified of its own people.

Some people say that it is useless to continue to chant these slogans. I don't really care if it is useful or not. I have the freedom of expression. I can continue to chant the slogans and expose the evil deeds of the Communist Party. No matter how the regime wants to distort history and attempts to erase history, as long as we have words, we can record history. We can write. We should not let fear win.

Today, we come together in Tokyo to continue commemorating June 4th. We continue to unequivocally chant the slogan to end one-party rule and demand accountability for the massacre. It is useless for the Chinese government to crack down on freedom of expression and freedom of assembly and attempt to wipe out the history of the massacre. Not only in Japan, but Hong Kongers and Chinese in every part of the world would continue to rebuke the evil deeds of the Communist Party. We don't need to be incited. We don't need others to tell us what to do. Thank you very much.


11. 作品紹介|曾我篤

所属: カリグラフィー作家(劉暁波「08憲章」展示作家) 時刻: 1:02:10

あ、どうも初めまして、曾我と申します。僕は、世界中の様々な文学を中心に、その優れた文章を書きながら、その密接に関連したビジュアルを同時に表現するという、カリグラフィーというアートを書いています。

ちょっとここ(ステージ)にはないんですけど、下のギャラリーの方に僕の作品を展示させてもらっています。その作品は、劉暁波氏が残した「08憲章」の、その前文すべてを書き、これを書きながら同時に彼の肖像を表現した作品になっています。

この作品を見てもらうのが一番なんですけど、彼が目指したもの、彼の理想を指し示している、世界の理想を指し示している「08憲章」の文章に触れてみて、実際に読んでみて、みんなでより良い社会を目指していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。


12. 講演|伍雷(Wu Lei)

所属: 元中国人権派弁護士 時刻: 1:04:16

中国語原文

大家晚上好,我是來自於中國的人權律師伍雷。我來到日本已經四年了。我想特別感謝一下會議的主辦方,尤其是主辦方他們的日本朋友和華人朋友,也特別感謝今天來到這裡參加這個會議的朋友們。

1989年6月4號的天安門廣場運動,雖然過去了37年,我想告訴大家的是,這場運動即使在今天,在中國仍然有廣泛的影響。無數的人在追求這個事件的真相,在這個運動的號召下推動了中國民主運動的發展。

在這個過程當中,中國人民那些對現狀不滿的人、他想改變的人仍然在奮鬥。就像我的同事,像高智晟律師、許志永律師、丁家喜律師,他們因此在坐牢或者已經失蹤了非常多年。

中國的這樣一個民主化運動,它繼承了六四的精神。這樣一個精神就在於,大家討論民主、討論公開、討論財產公示、討論言論自由。

這種六四精神之所以重要,並不是當年的學生們掌握了全部的真理,是因為他們勇敢地提出了問題。他們要求這個國家更加公開、更加透明,能夠全民討論問題。

天安門廣場上所反應的六四精神,呈現了無數普通年輕人克服了恐懼。儘管恐懼在今天仍然存在的,但是就像我們天安門廣場的那些年輕人一樣,明知道有風險、有恐懼,仍然能夠站出來。

用今天的眼光看到,天安門廣場所要求的本質上都是和法治有關的內容。他們要求權力監督,要求自由,要求向人民負責。這些內容即使在今天,仍然具有現實意義。

更為重要的是,當年天安門廣場的六四精髓,它更代表了中國的另一種可能性。那些20歲年輕的學生們在天安門廣場上展現了高度的自律、理性和公共參與精神。他們向世界證明了,中國人民同樣具有追求民主自由的能力。

所以我們今天來紀念八九六四,我們是希望這個國家的領導人和我們的民眾,都能夠有勇氣面對這個歷史。一個民族如果不能誠實地面對我們自己的歷史、面對這樣一個重大的運動,我們中國永遠不可能真正地走向現代化。六四的記憶永遠不會消失,它將成為追求自由與尊嚴的重要精神財富。謝謝大家。

日本語通訳(逐次)

皆さん、こんにちは。伍雷と申します。日本に来てからもう4年が経ちました。本日、本集まりにいただきましてありがとうございます。このような中に集まっていただくこと自体にも、その相応のリスクをしっかりと認識しております。

1989年の天安門事件から37年が経っておりますが、その影響が今でも残っていまして、今でもたくさんの人たちがその歴史の答えを求めています。多くの人たちが不満を持って、長年も戦い続けている人たちも大勢います。例えば人權弁護士の高智晟(ガオ・ジースン)弁護士とか、許志永(シュー・ジーヨン)弁護士、丁家喜(ディン・ジアシー)弁護士など、彼らは今も国際政権と戦って、自由を奪われています。

中国のその民主化運動は、その事件の意義とかその精神を受け継いでいます。当時と同じように、民主、自由、そして(官僚の)財産の開示、それを求めています。

当時の学生が称賛されるのは、何もその知識的に正しかったからではなくて、彼らは正直に自分の言いたいこと、求めたいものを求め、国にもっと透明であるべきだとしたからです。彼らは恐怖を克服して立ち上がりました。今でも恐怖とリスクは存在しますが、同じように立ち上がる必要があります。

当時彼らが求めていたものは、法治国家として必要な、司法の平等とか、権力の監視、表現の自由であり、それらは今でも重要な意味があると思います。

さらに重要なのは、当時、20代の若者たちが天安門広場の中で自分たちのその自律性、理性をしっかりと示しました。それは「中国人であっても、そのような美しいもの(民主主義)を追求する能力を持っている」ということを世界に発信していました。

今日、私たちがこの記念集会をしているのは、国民たちも、政府たちも、ちゃんと歴史に向き合って、その大虐殺の歴史を認めることを求めています。自分たちの歴史を正面から向き合えないような民族、国は、世界で本当に重要な役割を担えるわけがありません。この記憶は消え去ることはありませんし、自由と尊厳を求める道を照らし続けると信じています。ありがとうございました。


13. 講演|吾爾開希(ウーアルカイシ)

所属: 八九民運学生指導者/台湾立法院人権委員会事務総長(在台湾) 時刻: 1:11:33

中国語原文

我很多次來到日本。可能在座的現場也有很多人也都止不見了一次。然後包括日本的朋友,包括我們剛剛見到的牧野聖修先生,也跟他見了很多次。非常高興在這個場合利用這個機會,首先跟這麼多年以來一直在關注著我們的天安門事件和這個六四死難者的這些在座的朋友們表達我最誠摯的感謝。

今天紀念六四還有意義嗎?我們很多人現在還記得六四當年發生的事情嗎?37年過去了,今天在談論六四還有意義嗎?那我想在這裡回答大家,其實記住,記住這件事情就是被壓迫者最卑微的反抗方式,但它是百分之百的反抗。

共產黨最希望我們做什麼,那我們就反而偏偏不做,這就是一個很好的一個策略。那麼它希望我們忘記,那我們就偏不忘記,那我們不忘記。

那在這裡,壓迫者最害怕的是什麼?壓迫者最害怕的是我們不害怕。而壓迫者最希望的是什麼?壓迫者最希望的是我們絕望。

37年過去,今天在座的每一個人都已經決定表現出來的是不怕,而且表現出來的是仍然抱持希望。對此,我對今天在座的每一個人表達我最衷心的感謝。

有這麼簡單的一個信息,我過去37年來一直想向全世界傳達。

我記得16年前我來到日本的時候,在東京中國大使館前面,也是在參加六四紀念活動的時候,現場維持秩序的日本警察,我當時希望他們幫我向中國大使館傳達一個信息------我想要向日本和中國大使館傳達的信息是:我是中國政府名列第二名的通緝犯,而第一名(王丹)已經被抓過,所以我現在應該已經晉升為第一名了。我想要自首。我想回中國。我想去法庭上跟中國政府辯論。

但中國政府拒絕我的自首。

我當時在中國大使館前面,在6月3號和4號抗議這個屠殺。結果是被日本警察維持秩序,把我們維持在馬路的對面,不讓我們接近中國大使館。

結果,當時中國大師館有一輛車要開回中國大使館裡面,所以中國大使館的大門自動打開了。而且日本警察也離開這輛車,回到中國大使館大門前面。結果我就利用這個機會翻過了日本警察的封鎖線,想要闖回中國大使館。

結果,當場被日本警察逮捕了。日本的警察不知道是疏忽還是故意,我相信是故意------我的那個罪名叫做「建築物侵入罪」。

當檢察官看到這一點的時候,檢察官跟我說:「如果這些警察用『妨害公務罪』來逮捕你,我現在必須要起訴你。但他們居然用『建築物侵入罪』來逮捕你------他們忘了中國大使館不屬於日本的司法管轄權。」所以我被無罪釋放了。

當我走出警察署面對媒體的時候,我首先跟日本人民表達我的歉意。我的闖中國大使館的行為引來了日本人的不安,對此我表達我的歉意,我絕不是想要引起日本的不安。

我希望日本人民能夠理解,我是一個面對暴虐的鄰居國家的反抗者。是在日本這個鄰居這裡躲一躲風雨的時候,給你們造成了不安,希望日本人民理解。一如37年前,我們在北京在天安門廣場呼喚自由、爭取自由的時候,日本人民給予的支持和理解一樣。包括我在東京闖中國大師館這件事,也獲得了日本人民高度的理解和支持。

但是後來,我每一次來日本入境,都要受到入國管理局的特別的「關照」。請我到小黃房間裡面問我一個小時左右、非常無聊的問題。例如:「你到東京旅行是要坐電車還是坐私家車?」

我在警察署當了兩天「客人」的時間,感受到日本的警察非常專業,也非常文明。我相信入國管理局的這些人也一定足夠專業,不至於問出這麼愚蠢的問題。所以我會覺得,這麼蠢的問題絕對不是出於專業,而是要做給中國政府看的。我想不出別的理由。

今天中午,我在外國特派員協會(FCCJ)發表演講的時候,回答日本記者的問題,問到我對日本現在的對中國政策的看法。

我講到,日本失去了安倍首相,這不僅僅是日本的損失,這是全世界的損失。而現在日本政府繼承了他的遺志。我過去37年多次來到日本,一直希望能夠傳達給日本政府的一件事情,就是:日本作為亞洲最強大的民主國家,要有一個民主國家的樣子。

我過去這些年去的國家裡面,其實我批判最重的一個國家是美國。我在華盛頓面對美國的國會、面對美國的政府,一直在強烈地批判美國過去30多年對中國採取的綏靖政策。

世界在改變,但中國沒變。37年是一個很長的時間,但我們別忘記,今天的中國政府還是那個37年前向和平請願者開槍、派出坦克車碾壓和平請願者的同一個政府。

37年前,日本人民是多麼的支持我們這些學生走上街頭爭取自由、爭取民主。日本人因為生活在自由和民主的世界之中,因此自然地表達了對自由和民主的渴望和支持。而日本政府也應該記住這一點。

民主有一個好處,這就是過了37年,我們當初呼喚民主,過了37年之後仍然堅持追求民主的一個原因,就是民主政府必須遵從民意。所以我能夠在這裡,想通過在座的各位傳達給你們的政府,一個仍然的希望:請你們告訴你們的政府,仍然要支持中國的民主化。

也許支持中國的民主化,習近平會不高興。而他會不高興的時候,會讓不高興的日本政府、或者日本企業、或者日本人民付出一點代價。

那我想在這裡重複我過去30多年以來一直向西方民主國家------我所強烈批判的美國、歐洲------所傳達的一個信息:付出代價是不可避免的。如果你現在不要付出代價,你以後要付出更大的代價;如果你這代人不付出代價,你的下一代人要付出代價。而現在就是付出代價的時候。

37年來,每一年到了六四的時候,我們發表六四紀念講話,很常會用一句話來開始,就是「時間飛逝」。

但我今天可以跟大家報告一下,時間真的不會飛逝。因為我們仍然在面對同一個政府,當年開槍殺人的政府,今天仍在統治中國。

對於天安門母親,那些失去了自己的家人的天安門母親,時間沒有飛逝。她們在一分一秒地等著,等著最終有一天,能夠有一個中國政府來對她們失去的親人表達歉意。那對她們來說是何等的漫長。

過去這些因為參加這個運動而犧牲了自由、不得不坐牢的朋友們,時間真的沒有飛逝。

我們當年用各種最謙卑的方法,渴望能夠跟政府進行對話,但換來的是子彈和坦克。

對於香港人,本來承諾的「50年不變」,本來承諾的所有東西,香港人自己也願意相信「我們不要激烈反抗,用理性的方法能夠跟共產黨建立一種也許能夠對我們的自由有保障的默契」,但換來的是什麼?

所以,我今天在這裡,向今天到場的所有朋友表達感謝。你們讓我們覺得,37年的時間沒有白費,因為你們仍然記得。而「共同的記住」就是「共同的反抗」。

請讓我們一起,為了那些37年前為了希望而願意付出、而不得不付出生命的勇敢的年輕人們,讓我們記住他們的勇敢。

讓我們記住,壓迫者最害怕的是我們不害怕。

讓我們記住,壓迫者最希望的是我們絕望。

我們只要保持希望,只要不害怕,我們就一定會贏。

讓我們記住這份勇敢。謝謝大家。

日本語通訳(逐次)

私はこれまで何回も日本に来ていまして、その中で初めてお会いする方ではない方もたくさんいらっしゃいます。元衆議院議員の牧野先生とも何回もお会いしています。今日、このような記念集会を開いていただき、そして長年にわたって天安門事件、またその犠牲者の方々に心を寄せてくださっているここに集まった皆様に、心から感謝を申し上げます。

私はよく聞かれます。「今になってあの時のことを追悼しても、何か意味があるのか?もうそれを覚えている人も少なくなっているのではないか?」と。私はここで皆さんに答えたいと思います。

過去にあった事実を「覚えている」ということ自体が、圧政に対する一番の、そして100%の抵抗になります。忘却を拒否すること自体が、力のない民衆が取れる、決して小さくない反抗の形だと思います。

中国共産党が私たちに何を一番望んでいるのか。それは「忘れること」です。じゃあ、その逆をすればいいわけです。あえてそれを忘れずに、しっかりと覚え続ければいいと思います。

また、抑圧者が一番恐れているのは、私たちが「恐れないこと」です。そして彼らが一番望んでいるのは、私たちが「絶望すること」です。

37年が経った今、ここに集まっている皆様が示している姿は、「私たちは恐れていない」ということ、そして「今でも希望を抱き続けている」ということです。この場に集まってくださったすべての方々に、感謝を申し上げます。ありがとうございます。

この単純なメッセージを、私はこれまでの37年間、ずっと世界に発信したかったのですが、それもなかなか容易なことではありませんでした。

16年前、私が日本に来て、中国大使館の前で六四の抗議活動を行っていた時のことです。私は現場の日本の警察官の方に、私の代わりに中国大使館へメッセージを伝えてほしいと頼みました。

「私は中国政府から指名手配されている指名手配犯の第2位です。ただ、第1位の王丹はすでに逮捕されたことがあるので、実質的には現在、私が第1位のはずです。だから私は自首したい。中国に帰って、法廷で中国政府と堂々と議論したい」と。

しかし、中国政府はその自首の受け入れを拒否しました。

私は6月3日と4日にかけて、大使館の前で虐殺に対する抗議活動をしていました。日本の警察は秩序維持を理由に、私たちを道路の反対側に留まらせ、大使館に近づけないようにしていました。しかしその時、大使館の車が1台入ろうとして、自動の門が開きました。警察官たちも車を誘導するために門の前に移動しました。私はその隙に、警察の封鎖線を飛び越えて、中国大使館の中に突入しようとしました。

結果として、私は日本の警察にその場で逮捕されました。その時の容疑は、警察のミスなのか故意なのか(私は故意だと信じていますが)、「建造物侵入罪」でした。

検察官はそれを見て私に言いました。「もし警察が『公務執行妨害罪』で君を逮捕していたら、私は君を起訴しなければならなかった。しかし、よりによって容疑は『建造物侵入罪』だ。彼らは中国大使館の敷地内が日本の司法管轄権の外にある(治外法権である)ことを忘れていたようだ」と。そのため、私は起訴されずに釈放されました。

万世橋警察署から釈放されて出てきた時、私は記者の方々を通じて、まず日本国民の皆様に「不安にさせて申し訳ありませんでした」と謝罪しました。私の行動は日本の皆様を驚かせるためのものではなかったからです。

ただ、日本の皆様には理解していただきたかった。私は、隣にある暴虐な国家の独裁政権と戦っている人間です。その嵐を避けるために日本の地に身を寄せている中で、皆様にご迷惑をかけてしまったことをお許しいただきたいと。

37年前の天安門事件当時、日本の民衆の皆様からは非常に大きな支持と理解をいただきました。自由と民主主義の世界に生きている日本の皆様が、自発的に私たちの活動を応援してくれたからです。日本政府もそのことを覚えているはずです。

民主主義の素晴らしいところは、政府が国民の民意に耳を傾けるという点にあります。だからこそ、37年経った今でも私たちは民主主義を求め続けているのです。私はここにいる皆様を通じて、日本政府にメッセージを届けたい。「今でも中国の民主化を支持してほしい」と。

もちろん、中国の民主化を支持することは、習近平の逆鱗に触れることでもあります。そのせいで、日本政府や日本の企業、あるいは国民の皆様にも、何らかの代償を払わせようとするかもしれません。

しかし、これは私がこの30年間、欧米の民主主義国家(私が強く批判してきたアメリカやヨーロッパ)に対しても繰り返し言ってきた言葉ですが、「代償を払うことは避けられない」のです。今、小さな代償を払うことを拒めば、将来より大きな代償を払うことになります。私たちの世代が今その代償を払わなければ、いずれ私たちの子供たちの世代がそれを払うことになります。今こそ、その代償を払うべき時なのです。

毎年6月4日になると、私たちは追悼のスピーチでよく「光陰矢のごとし(時間はあっという間に過ぎる)」と言います。

しかし今日、皆様に報告したいのは、「時間は決してあっという間には過ぎていない」ということです。なぜなら、私たちは今でも、37年前に国民に向けて銃を撃ち、戦車で踏みにじったあの時と全く同じ政府と対峙しているからです。

子供や家族を失った「天安門の母」たちにとって、時間は全く過ぎていません。彼女たちは、中国政府が自分たちの家族に対して頭を下げて謝罪するその日を、一分一秒、歯を食いしばって待ち続けています。その時間はどれほど長いものでしょうか。

あの運動に参加したために自由を奪われ、投獄された仲間たちにとっても、時間は早く過ぎてなどいません。

私たちは当時、最も謙虚な方法で政府に対話を求めましたが、返ってきたのは銃弾と戦車でした。

香港の人々にとってもそうです。「50年間は変わらない」と約束された一国二制度を信じ、「激しい反抗をせず、理性的にお互いの暗黙の了解を築いて自由を確保しよう」としていた香港人に対して、返ってきたのは何だったでしょうか。

最後になりますが、改めて本日ここに集まってくださった皆様に感謝を申し上げます。皆様が事件を覚えていてくれるおかげで、私たちの37年間は無駄ではなかったと感じることができます。「共に覚えていること」それ自体が「共に反抗すること」なのです。

37年前、希望のために命を捧げた、あの勇敢な若者たちの存在を、私たちみんなで記憶にとどめ、伝えていきましょう。

抑圧者が一番恐れているのは、私たちが恐れないことです。

抑圧者が一番望んでいるのは、私たちが絶望することです。

私たちが希望を捨てず、恐れなければ、私たちは必ず勝ちます。

その勇敢さを、心に刻みましょう。ありがとうございました。


14. 共同声明|董鵬

役割: 構成団体共同声明の朗読 時刻: 1:40:13

「八九・六四」天安門事件37週年記念の共同声明。

1989年4月15日、前中国共産党総書記の胡耀邦が亡くなった。4月16日、北京の大学生たちが天安門広場に赴き、汚職への反対、報道の自由、政治改革を要求した。4月26日、「動乱に反対せよ」という政治社説(426社説)が掲載された。この社説でも学生たちのデモをダウンさせることはできなかったが、代わりに学生たちの抗議活動の希望を拡大させ、全国に広がった。

5月13日、学生たちは4月26日の社説の撤回を求め、断食(ハンガーストライキ)を開始しました。5月20日、中国政府は戒厳令を発表したが、学生は断食を続けた。5月30日、中央美術学院の学生たちは「民主の女神像」を天安門広場に建立した。

6月4日、人民解放軍は天安門広場の学生たちを武力で弾圧し、民主の女神像を倒しました。天安門地域で死亡・負傷した人数は今もって不明である。中国では、これも禁止された話題である。

天安門事件の元学生リーダーであるウアルカイシ氏は、「天安門事件の記念は現実的に大きな意味がある。記憶を消し去ろうとする独裁権力との、現実の抵抗の問題でもある」ということを忘れないでくださいと語っています。

香港の六四記念館は閉鎖され、香港のキャンドル(維多利亞公園の燭光晚会)は今は停止されましたが、我々はこれからずっと、すべての自由の場所をビクトリアパークのように、多くの場所で天安門事件の追悼活動を続けていきます。決して天安門事件を忘れるな、決して諦めるな。

天安門事件に関する日本政府の声明(37年前当時)、当時の内閣官房長官は記者会見で、「中国の北京で、軍の実力行使によって多くの人民の命が失われたという事態に至ったことは、誠に遺憾だ」と言わざるを得ませんでした。日本政府としては、普遍的価値である自由と人権が中国でも保障されることを重視します。

天安門以降の中国政府による弾圧の歴史:

  • 1999年4月25日:法輪功学習者に対する弾圧が始まった。
  • 2008年3月:チベットでの平和的な抗議活動に対する武力弾圧が発生しました。
  • 2009年7月5日:ウルムチ市でウイグル人のデモが弾圧された。
  • 2011年:内モンゴルでの抗議デモに対する弾圧。
  • 2015年7月9日:中国政府により人権派弁護士が大量に逮捕された(709事件)。
  • 2022年11月:ゼロコロナ政策に抗議するため、白紙革命が発生しました。
  • 2024年3月23日:香港で国家安全条例(23条)が可決・施行されました。

今や香港で天安門事件を追悼することは、「国家安全に脅威を与える行為」と見なされるようになりました。先ほど言われた、鄒幸彤さん、あるいは「天安門の母」たちは、今も監視や刑務所の中で戦いを続けています。

以上、我々は天安門を決して忘れず、決して諦めません。

2026年6月3日 中国民主団結連盟/民主中国陣線日本自治区/民主中国陣線/中国民主党日本委員会/対話中国日本支部/東京自由民主人權之聲

ご清聴いただきましてありがとうございました。


15. 閉会の挨拶|王進忠

所属: 本集会実行委員(司会) 時刻: 1:46:28

皆さん、こんばんは。お疲れ様でした。

ウアルカイシさんの言葉を借りて、我々は天安門事件を忘れたことがありません。30年前、牧野聖修先生が初めて国会議員になった頃、私は国会での天安門集会に行きました。それから30年、毎年この集会に参加しました。

今日はチベット、香港、ウイグルの皆さんと、みんなで毎年同じようにこの集会でアピールしています。我々は30何年経っても、こういうことは忘れておりません。

本日、雨の中、大勢の方々に足を運んでいただき、本当に我々としてありがとうございます。みんなの支援でこの集会を続けていくことができます。

中国を変えていくためには、まずは天安門事件の(名誉)回復をしなければいけないです。本当に皆さん、ありがとうございました。

この後、外でキャンドル集会(燭光晚會)をやります。本日はありがとうございました。また、写真展を開いてくれた曽我さん、奥さんと一生懸命展示を作ってくれてありがとうございました。皆さん、ありがとうございました。


本ページは、《記憶が罪に問われるとき》東京・2026年5月27日–6月7日 の関連プログラムとして開催された記念講演会(2026年6月3日)の全登壇者によるスピーチの書き起こしアーカイブです。

本展の全記録:/activity-record/memory-on-trial-record

6月3日記念講演会の記録:/activity-record/64-37-jun3-report

「記憶の壁」全カタログ:/activity-record/64-37-memo-wall

動画記録:YouTube(全編・約2時間)

記録方法

  • 当日の音声・動画記録、および登壇者ご提供の原稿に基づき書き起こしました。
  • 中国語でなされた2件のスピーチ(伍雷氏・吾爾開希氏)には、当日の逐次通訳に基づく日本語訳を併記しています。
  • 読みやすさのために段落分けや句読点の表記は整えていますが、発言の趣旨は変更していません。
  • 各登壇者の所属・肩書は2026年6月3日時点のものです。

引用される際は《記憶が罪に問われるとき》東京・2026年5月27日–6月7日 ── Lady Liberty Hong Kong(一般社団法人 日本香港民主連盟)所蔵 とご明記ください。

記録:Lady Liberty Hong Kong

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《記憶が罪に問われるとき》 全記録 ── 東京 2026年5月27日–6月7日

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「記憶の壁」── 12日間・8言語・128通が語ったこと