「6・12」から7年——催涙弾が覆った街、そして今も終わらない訴追

写真:陳朗熹

2019年6月12日。香港の立法会(議会)周辺で、警察はデモ参加者に向けて催涙弾240発、ゴム弾19発、布袋弾(ビーンバッグ弾)3発、スポンジ弾30発を発射しました。80人以上が負傷し、少なくとも11人が逮捕されました。「反送中」——逃亡犯条例改正案に反対する運動——が、この日を境に大きく姿を変えることになります。

そして7年が経った今も、この日に始まった出来事は「過去」になっていません。2026年の現在もなお、当時の抗議参加者が逮捕され、起訴され、法廷に立たされ続けているのです。

■ 100万人の声と、それを無視した政府

2019年6月9日、主催者発表で103万人——香港の人口のおよそ7分の1——が街頭に出て、刑事容疑者の中国本土への移送を可能にする「逃亡犯条例」改正案の撤回を求めました。香港史上最大級の、整然とした平和的デモでした。

しかし政府の回答は、その日の夜のうちに出されました。予定どおり6月12日に立法会で改正案の第二読会(審議)を再開する、というものです。100万人が歩いても、政府は一歩も動かない——この事実が、人々を再び街頭へと向かわせました。

前夜から多くの市民が立法会を包囲しました。キリスト教徒のグループは各出入口に立ち、賛美歌《Sing Hallelujah to the Lord》を夜を徹して歌い続けました。宗教集会は当時の公安条例の規制対象外であったため、この歌は警察の排除に対するささやかな盾でもありました。12日朝7時ごろ、デモ参加者は金鐘(アドミラルティ)や湾仔(ワンチャイ)の幹線道路を占拠し、警察の防衛線と対峙します。嵐の前の静けさでした。

写真:陳朗熹

■ 午後3時、衝突——「撃たれた側が、裁かれた」

午後3時、一部のデモ参加者が鉄柵(バリケード)で警察の防衛線に突入を試みたのをきっかけに、警察は実力行使に踏み切りました。催涙弾、布袋弾、ゴム弾が飛び交い、特殊部隊「速龍小隊」と機動隊がデモ隊の排除を開始します。立法会前の示威区域からは、市民が次々と引きずり出されました。

同じ頃、龍匯道の集会ステージ付近では、平和的に集まっていた市民が両側から催涙弾で挟み撃ちにされ、中信大廈(CITICタワー)の前で約30分間にわたり身動きが取れなくなりました。ビルの入口に殺到する群衆——群衆事故寸前の、極めて危険な状況でした。

教師の楊子俊(ヤン・ツーチュン)さんは、この日、警察の発射した弾を右眼に受け、視力のわずか2.5%しか残りませんでした。彼はその後、この日の「違法集結」に参加したとして起訴され、禁錮9か月の判決を受けています。撃たれた側が、裁かれたのです。この転倒した構図は、その後7年間にわたって繰り返されることになります。

警察はこの日のデモを「暴動(riot)」と認定しました。最高刑10年の暴動罪の適用を意味するこの認定の撤回は、のちに運動の「五大要求」の一つとなります。

写真:陳朗熹

■ 「あの夏」の序幕として

6月12日を境に、運動の焦点は条例そのものから「警察の暴力」へと移りました。独立調査委員会の設置を求める声に政府は最後まで応じず、市民の政府と警察への信頼は地に落ちます。催涙弾が香港全土を覆い尽くす「あの夏」は、この日に幕を開けたのです。

その後の展開は、よく知られているとおりです。2020年6月、北京は香港国家安全維持法(国安法)を施行し、運動は物理的に封じ込められました。集会は禁じられ、独立系メディアは次々と解散に追い込まれ、民主派の指導者たちは投獄されるか、亡命を余儀なくされました。2025年12月には、メディア創業者の黎智英(ジミー・ライ)氏に国安法違反で有罪判決が下されています。

しかし、本当に伝えたいのはここからです。

■ 7年経っても、訴追は終わっていない

2019年の抗議活動に関連して逮捕された人は、警察統計で1万人を超えます(2024年3月時点で10,279人)。このうち起訴されたのは約3,000人。香港の司法当局は2026年1月の時点で、抗議活動関連の事件およそ70件がなお係争中であり、その多くが今年中に審理予定であると明らかにしています。

数字だけでは伝わらないので、この数か月の事例を挙げます。

2026年3月、オーストラリアから香港に帰国した21歳の女性が、2019年9月——彼女が当時14歳か15歳だった頃——の事件をめぐり、攻撃的武器の所持などの罪で起訴されました。容疑とされたのは、レーザーポインター2本とスプレー缶3本を所持していたことです。事件から6年半が経過していました。

2026年5月には、香港理工大学(PolyU)包囲事件をめぐり、4人の男性が暴動罪を認めました。彼らは2019年と2020年の最初の逮捕時には起訴されず、いったん日常に戻っていましたが、2024年6月に再逮捕され、改めて起訴されたのです。同じ月、2019年の「暴動扇動共謀」の罪で2025年10月に起訴された2人の男性の事件が高等裁判所に移送されました。2人は起訴以来、勾留されたままです。

さらに深刻なのは、一度無罪判決を受けた人々が、検察側の上訴によって再び法廷に引き戻され、再審で有罪とされる事例が相次いでいることです。2025年11月には、約4年前に同じ裁判所で無罪となった男性が、再審の末に暴動罪で有罪判決を受けました。2025年12月末には、2019年7月1日の立法会突入事件をめぐり、7人に最高で禁錮6年10か月の刑が言い渡されています。事件から、実に6年半後の判決です。

香港の刑事訴追に時効はありません。つまり、2019年にあの場にいたすべての人が——いま海外で暮らす数十万の香港人を含めて——理論上、生涯にわたって訴追のリスクを負い続けるということです。帰郷した途端に空港や入境時に身柄を拘束される事例は、海外在住の香港人コミュニティに「帰れば捕まるかもしれない」という恐怖を植え付けています。これは私たちが研究対象としてきた「国境を越える抑圧(トランスナショナル・リプレッション)」の、最も静かで、最も効果的な形態の一つです。

写真:陳朗熹

■ 記念日ではなく、現在進行形の闘い

だからこそ、私たちは「6・12」を単なる記念日として振り返ることをしません。

7年前のこの日に撃たれた人々の一部は、いまも獄中にいます。7年前のこの日の罪を問われて、今月も誰かが法廷に立っています。7年前のこの日を語ること自体が、香港では危険な行為になりました。記憶は風化したのではなく、組織的に消されようとしているのです。

香港で六四(天安門事件)の追悼が消されたように、6・12の記憶もまた、香港の中では語り継ぐことができません。だからこそ、香港の外にいる私たちが記録し、語り、伝え続けます。記憶を守ることは、それ自体が抵抗です。

そして香港で起きたことは、決して遠い場所の出来事ではありません。市民の声を無視した権力がどこへ向かうのか。法がいかにして武器に変わるのか——6月12日は、その問いを今も、私たち全員に突きつけています。

次へ
次へ

八九・六四天安門事件37周年記念展《記憶が罪に問われるとき》、東京・早稲田で開幕しました