ろうそくの火を絶やさない──支聯会が守り続けた六四の記憶
維多利亞公園を埋める無数の灯り――支聯会主催の六四追悼集会。参加者は例年数万〜数十万人、2019年は約18万人と最大規模を記録。
【連載にあたって】
現在、香港では「香港市民支援愛国民主運動聯合会」(支聯会)とその元幹部・李卓人、何俊仁、鄒幸彤に対する国家安全法関連の裁判が進行中である。開審は2026年1月22日、結案陳詞は5月18日から予定されており、判決は香港における言論、集会、追悼、政治参加の境界線を左右する重要な指標となる見込みである。
本連載は全5回にわたり、1989年の支聯会設立から現在の法廷闘争までをたどり、何が争われているのか、そしてこの裁判が香港社会にとってどのような意味を持つのかを整理するものである。六四の記憶をどう語るのか──その問いは、被告三人だけでなく、同じ出来事を悼んできたすべての香港人にかかわっている。
連載目次
第一回 1989年 支聯会発足、香港で広がる民主化支援
第二回 1990年以後 六四の記憶をつないだ支聯会
第三回 国安法施行後 狭まる社会空間、法廷へ移る争点
第四回 李卓人、何俊仁、鄒幸彤 支聯会を担った三人
第五回 支聯会事件裁判 法廷での争点
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二 1990年以後 六四の記憶をつないだ支聯会
1990年以後、支聯会は中国の民主化を継続的に推進する組織へと制度化され、その活動は長期的かつ多層的なものへと展開していった。
その中心にあったのが、毎年6月4日に維多利亞公園で開催される追悼集会である。この集会は1990年から2019年までほぼ毎年継続され、世界的にも稀な、天安門事件を公に追悼できる大規模な公共空間として知られていた〔1〕。参加者数は年によって数万人から十数万人規模にのぼり、政治情勢を反映した大きな変動をみせた。最少は1995年の3万5千人、最多は2009年(20周年)の主催者発表で15万人であったが、劉曉波のノーベル平和賞受賞(2010年)や2013年の旺角暴動事件に象徴される政治的緊張が高まる局面では参加者数が増加する傾向がみられた〔2〕。2019年(30周年)には、逃亡犯条例改正をめぐる社会的緊張が高まる中で主催者発表18万人を記録し、2014年に並ぶ近年最大規模となった〔3〕。こうした反復的な実践により、六四は単なる歴史的事件ではなく、香港社会における「公共的記憶」として定着していった。
支聯会はまた、記念活動にとどまらず、中国本土の人権問題への継続的な関与を行ってきた。とりわけ「天安門母親(天安門事件の遺族グループ)」への支援や、劉曉波をはじめとする政治犯・反体制派への連帯表明、署名運動、募金活動などを通じて、中国における抑圧の実態を国際社会に訴え続けた。毎年の集会では、個別の被害者や事例が紹介されることで、抽象的な「事件」ではなく、具体的な人間の経験として六四が語り継がれていった。
六四記念館の展示室(2016年)。来館者が1989年の天安門事件に関する写真や資料を見学している。(写真:Wpcpey(CC BY 4.0))
さらに、支聯会は教育・記録の分野にも活動を広げた。2014年には尖沙咀に常設の六四記念館を開設し、その後も場所を変えながら再開を試みた。この記念館では、1989年の学生運動に関する写真、映像、文書資料、犠牲者名簿、証言などが展示され、香港における数少ない公開的な歴史記録の場となっていた。また、学校や市民向けの講演会、出版活動を通じて、若い世代への記憶の継承も試みられていた〔4〕。
加えて、支聯会は国際的な連携にも関与していた。海外の人権団体や議会との関係を築き、六四や中国の人権問題を国際議題として維持する役割を果たした。香港という比較的自由な言論空間を拠点に、中国本土では困難な活動を補完する存在でもあった〔5〕。
このように、支聯会は集会、支援、教育、国際発信を組み合わせながら、市民の政治参加と記憶の維持を支える中核的な主体として機能してきた。その長期的な活動は、「六四の名誉回復」と「民主中国の建設」という二つの目標を軸に一貫していた。
しかし2010年代に入ると、この枠組みに変化が生じる。特に2014年の雨傘運動以降、香港内部では「本土意識」の高まりとともに、中国民主化を中心に据える支聯会の路線に対する批判が現れた。雨傘運動は、普通選挙実現を求めて香港中心部の大通りを79日間にわたり占拠した大規模な市民運動であったが、具体的な成果を得られないまま強制排除に終わった〔6〕。この挫折を経て、若い世代の間では「香港優先」を掲げる本土主義(Localism)や、香港の民主自決を主張する自決派が急速に台頭した。雨傘運動後の複数の大学学生会が学連(香港専上学生聯会)を相次いで脱退し、支聯会が綱領に掲げる「民主中国の建設」を受け入れられないとして、維多利亞公園での六四集会への参加を初めて拒否する動きも現れた〔7〕。
梁天琦(中央)は香港独立を支持する著名な活動家。暴動罪で懲役6年の判決を受け、2022年1月に出所した。写真は2016年撮影。
(写真:Anthony Wallace/Agence France-Presse — Getty Images)
こうした議論の中で、六四の記憶の意味も再定義されていく。かつては中国の民主化への連帯の象徴であった六四は、次第に香港と中国の関係、さらには香港人としてのアイデンティティを問い直す場としても機能するようになったのである。研究者の倉田徹が指摘するように、本土派・自決派は「旧来の民主派の、中国を愛しており、中国の民主化を求める」という姿勢とは一線を画し、そもそも中国への帰属意識が希薄な「若者の中国離れ」を体現していた〔8〕。
それでも2019年の反送中運動の際には、「兄弟爬山、各自努力」というスローガンのもと、異なる立場の間で一定の共存と協調が見られた。六四の記憶は完全に共有されたものではなくなりつつも、依然として多くの市民にとって重要な歴史的参照点であり続けていた。
そして2020年の香港国家安全維持法の施行以降、支聯会の活動は大きな制約を受け、2021年には主要メンバーが逮捕・起訴され、組織自体も解散に追い込まれた。これにより、香港における六四の公的な追悼空間は大きく変容することとなったが、それまでの約30年にわたる活動は、記憶と抵抗の歴史として確かに刻まれている。
引用文献
〔1〕「燭光長燃32年、香港人的六四維園之約」、『端傳媒』、2021年6月2日。
〔2〕「【六四29】傘後晚會人數連跌3年 歷年晚會人數多寡取決政治事件」、『香港01』、2018年6月4日。
〔3〕「六四33周年|維園燭光集會第三度缺席 由2019年逼爆到「歸零」」、『香港01』、2022年6月3日。
〔4〕「六四紀念館」、China Digital Space(中国数字時代)。
〔5〕「支聯会解散|從支援愛國民主運動到涉煽動顛覆政權 32年歷史告終」、『香港01』、2021年9月25日。
〔6〕「雨傘運動後の香港――無力感が覆うまで」、倉田徹、SYNODOS、掲載年不明。
〔7〕「雨傘運動後の香港における本土主義の台頭」(邦訳タイトル)、Japanese Journal of International Education Studies, Vol.22、立教大学、2023年。
〔8〕倉田徹「雨傘運動後の香港――無力感が覆うまで」、SYNODOS。