国安法が変えた街──解散へと追い込まれた支聯会

2021年9月9日、天安門事件を主題とする世界で唯一の香港の博物館「六四記念館」に対し、警察が強制的な排除措置を実施した。

写真:Stand News(立場新聞)/劉偉程

【連載にあたって】

現在、香港では「香港市民支援愛国民主運動聯合会」(支聯会)とその元幹部・李卓人、何俊仁、鄒幸彤に対する国家安全法関連の裁判が進行中である。開審は2026年1月22日、結案陳詞は5月18日から予定されており、判決は香港における言論、集会、追悼、政治参加の境界線を左右する重要な指標となる見込みである。

本連載は全5回にわたり、1989年の支聯会設立から現在の法廷闘争までをたどり、何が争われているのか、そしてこの裁判が香港社会にとってどのような意味を持つのかを整理するものである。六四の記憶をどう語るのか──その問いは、被告三人だけでなく、同じ出来事を悼んできたすべての香港人にかかわっている。

連載目次

第一回 1989年 支聯会発足、香港で広がる民主化支援

第二回 1990年以後 六四の記憶をつないだ支聯会

第三回 国安法施行後 狭まる社会空間、法廷へ移る争点

第四回 李卓人、何俊仁、鄒幸彤 支聯会を担った三人

第五回 支聯会事件裁判 法廷での争点

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三 国安法施行後 狭まる社会空間、法廷へ移る争点

こうした制度化の流れの上に、2020年の「香港国家安全維持法」の施行が重なり、支聯会を取り巻く環境は大きく変わった。

まず、政治的意思を表明する公共空間が急速に縮小した。たとえば、1990年以降恒例となっていた六四記念集会は、2020年以降開催されなくなった。過去最多の参加者数を記録した2014年・2019年の六四集会にはそれぞれ18万人が参加しており、国際社会からも「一国二制度」の健全性を示す指標として見なされていた〔1〕。しかし国安法施行前の2020年6月4日には、一部の市民が自発的にビクトリア公園周辺で追悼を行ったが、当時、香港政府は感染症対策を理由にこうした活動を制限した。この年の六四夜にはビクトリア公園のグラウンドに初めて燭の海が現れず、往年の光景とは様変わりした。さらに、集会に参加した支聯会の常委何俊仁らは後に「煽惑他人明知而参与未经批准集结」などの罪で起訴されている〔2〕。国安法施行後の2021年以降は、毎年6月4日になると、ビクトリア公園とその周辺に多数の警察が配置され、集会や追悼とみられる行為は厳しく統制されるようになった。

また、2021年には、警察が支聯会に対し、外国勢力と関わっている可能性があると指摘したうえで、同団体の過去の活動、対外関係、資金源などに関する資料の提出を求め、組織運営やそのあり方に対する審査に乗り出した。より具体的には、警察国家安全処は2021年8月25日、国安法第43条「実施細則」附則5(外国および台湾の政治組織とその代理人に対して香港関連活動に関する資料提出を求める規定)に基づき、主席の李卓人、副主席の何俊仁・鄒幸彤を含む7名の常委に対して通知書を発出し、14日以内に資料を提出するよう求めた。警察が求めた資料には、支聯会の創設以来の全役員情報、2014年以降の活動記録と共同主催者の詳細、同期間の内部会議録および中国国外の政治組織との往来記録、ならびに収支記録が含まれた〔3〕。支聯会がこの要求を公然と拒否すると、2021年9月8日と9日の2日間で7名の常委が相次いで逮捕され、その資産約220万香港ドルが凍結された〔4〕。

さらに、支聯会を支える市民社会の基盤も急速に弱まった。支聯会に活動資金や資源、会場などを提供すること自体が法的リスクにつながりうる状況のもとで、リスクへの警戒や自己検閲の傾向が強まり、支聯会との協力関係の維持をためらう個人や機関が増えていった。この解散は、国安法施行から一年あまりの間に香港で解散を余儀なくされた市民社会団体の中で最新の事例であり、直前には48年の歴史を持つ最大規模の教職員組合「教育専業人員協会(教協)」もすでに解散を表明していた〔5〕。

こうした複数の制度的・環境的要因が重なった結果、支聯会は最終的に2021年9月25日に解散を表明し、33年にわたる活動を終えた。特別会員大会での表決は41対4で解散が可決され、当時服役中だった主席の李卓人は獄中からメッセージを発し、いかなる政権も人民の記憶と良心を奪うことはできないと述べた〔6〕。

記憶を残すための仕組みもまた、影響を免れなかった。六四記念館は一連の執行措置を受けて閉館を余儀なくされた。2021年5月30日に再開した記念館は、わずか3日後に食環署の調査を受け、公衆娯楽場所ライセンスがないとの指摘を理由に閉鎖に追い込まれた。続く9月9日には、警察国家安全処が国安法違反の証拠収集を目的とした捜索に入り、大量の展示資料と展示板を持ち去った。その後9月21日に清算人が館内への再入室を許可されたところ、ほぼすべての展示品と書籍が搬出された状態だった〔7〕。さらに9月29日には、保安局長が国安法に基づき、支聯会の資産が国家安全に関わる罪行と関連する可能性があるとして暫定凍結を命じたことで、記念館の物件(推定市場価値約800万香港ドル超)も凍結対象となった〔8〕。これは、制度化された記憶が公共空間の中で縮小しただけでなく、それを支える物理的な媒体そのものも、消滅や変容の危機にさらされたことを示している。なお、閉館から2年後の2023年、天安門事件の学生運動指導者らによって、ニューヨークに「六四大虐殺記念館」が設立されるなど、記憶の実践は海外での継続という形をとることになった〔9〕。

さらに、刑事法の介入も進んだ。支聯会の中心メンバーである李卓人、何俊仁、鄒幸彤らは、2020年7月1日から2021年9月8日の期間における国安法上の「煽動顛覆国家政権罪」で起訴された〔10〕。法廷では、国安法施行前に彼らが支聯会で担っていた活動も、刑事責任をめぐる議論の中に組み込まれている。副主席の鄒幸彤は、資料提出を拒否する姿勢を公表した際、いかなる国家または組織を代理しているのかさえ示せないとして警察の根拠を否定したが、法廷では国安法に基づく「外国代理人」の認定について、控訴側がその立証を要しないとの司法判断が下された〔11〕。過去の行動や立場そのものが法的審査の対象となっていることがうかがえる。この点については、第五節でさらに詳しく見る。


引用文献

〔1〕「支聯会解散|從支援愛國民主運動到涉煽動顛覆政權 32年歷史告終」、『香港01』、2021年9月25日。

〔2〕同上。

〔3〕「支聯会拒交資料案整合」、『法庭線 The Witness』、2023年11月20日。

〔4〕「香港市民支援爱国民主运动联合会(支联会)」、维基百科(繁体字版)、2024年11月10日更新。

〔5〕「支联会宣布解散,六四烛光千万人接棒」、美国之音中文网、2021年9月25日。

〔6〕「香港市民支援爱国民主运动联合会(支联会)解散」、東京自由民主人権之声、2022年11月26日。

〔7〕「六四紀念館」、维基百科(繁体字版)、2025年7月5日更新。

〔8〕同上。

〔9〕「追專訪|紐約六四紀念館難敵加租 決搬往洛杉磯」、『Dialogue China』、2025年1月13日。

〔10〕「被控期間解散 官促控方釐清支聯会法律地位」、東方網、2021年10月28日。

〔11〕「支聯会拒交資料案整合」、『法庭線 The Witness』、2023年11月20日。

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