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香港を知る

広場に集まった声――雨傘運動と学生たち

請求記号
EX-2026-12
日付
2026年11月1日
分量
4,349字

2014年9月26日、学民思潮は中高生に授業のボイコットを呼びかけた。大学生の抗議に続き、学校を離れた生徒たちが、行政長官の選び方をめぐる運動に参加したのである。同じ日の夜には政府本部前の「公民広場」への突入が起こり、抗議は新たな局面に入った。国民教育に反対していた学生組織は、より多くの団体と市民が関わる運動の中で、どのような役割を担ったのだろうか。[1][2]

投票できても候補者を選べない

 当時、香港政府の長である行政長官は、有権者全体の投票ではなく、業界や職能別の代表などからなる定数1,200人の選挙委員会によって選ばれていた。改革の争点は、2017年の選挙を市民の一人一票へ移す際に、誰を候補者として認めるかという点にあった。[3]

 中国の全国人民代表大会常務委員会は2014年8月31日、候補者を推薦する「提名委員会」が二、三人の候補者を選び、各候補者には委員の過半数の支持を必要とする枠組み、いわゆる「8月31日決定」を示した。政府は普通選挙への前進だと説明したが、学生や民主派は、市民が支持する人物でも、提名委員会の段階で立候補を阻まれると反発した。提名委員会は既存の選挙委員会を基に、業界や職能などの枠から構成する仕組みで、全市民が同じ一票で委員を選ぶものではなかった。既存の選挙委員会では親北京派が優位にあり、同様の構成で過半数の推薦を求めれば、民主派の候補者が市民による直接投票に進めないとの懸念があった。学生側が求めた公民提名は、市民自身が推薦に加わる案である。争いは投票の有無だけでなく、投票用紙に誰の名前を載せられるかにあった。[4][5][6]

 運動には、学民思潮のほか、大学の学生会を結ぶ香港専上学生連会、通称「学聯」も関わっていた。金融街の中環(セントラル)で道路を占拠する市民的不服従を準備していた「占領中環」の発起人たちや、従来の民主派政党も活動していた。学民思潮は主に中高生の参加を呼びかけ、学聯は大学生の抗議を組織した。それぞれが異なる参加者や支持者を持ち、共同の行動に際しては団体間の調整が必要になる関係だった。[7][8]

 8月31日夜、「占領中環」の発起人たちは政府本部に隣接する添馬公園で集会を開き、授業ボイコットやデモなどの抗議を重ね、道路占拠へ進む方針を示した。学生側では、学聯が9月22日から一週間の授業ボイコットを呼びかけ、学民思潮も9月13日、中高生に同月26日の一日参加を呼びかけた。[9]

 9月22日、大学生らは香港中文大学で集会を開き、翌日からは政府本部周辺へ活動の場を移した。教員らによる屋外の講義も設け、授業を休んでも学びは続けるという姿勢を示した。学聯は行政長官との対話を求めたが、実現しないまま、中高生が加わる26日を迎えた。 [10]

授業を休み、広場へ向かう

 中高生の参加には、大学生とは異なる準備も必要だった。元メンバーの鍾禮謙は、2021年の『誌 HK FEATURE』の取材で、学民思潮が一日の授業ボイコットを企画し、保護者に説明する手紙も用意したと振り返っている。生徒を集める仕事には、学校や家庭に活動の範囲を伝え、活動への理解を得ることも含まれていた。

 政府本部前の一角は「公民広場」と呼ばれ、市民が集まり、抗議の声を上げる場所となっていたが、2014年夏に柵が設けられた。9月26日夜、黄之鋒は広場を取り戻そうと呼びかけ、自らも柵を越えた。鍾禮謙の回想では、正式な会議を開く時間がないまま、その場にいた中心的なメンバーが話し合ったという。一日の授業ボイコットから、現場で次の行動を決める局面へ移った。警察は黄之鋒らを逮捕したが、政府本部周辺には学生を支援する人々が集まり、警察と対峙した。[11]

 9月28日未明には「占領中環」の発起人が占拠開始を宣言した。同日、警察が催涙弾を使用すると、さらに多くの人が街頭へ出た。雨傘は催涙スプレーなどを防ぐ道具となり、運動の象徴になった。占拠は政府本部のある金鐘から、旺角や銅鑼湾にも広がった。幹線道路にテントや物資の拠点が置かれ、参加者が寝泊まりする長期の占拠となった。学生団体の会員に限らず、仕事や学校の後に訪れる市民も加わった。

広場を支えること、広場を代表すること

 占拠を維持する段階では、参加者の意見を調整する仕事も生じた。鍾禮謙によれば、当初の協議の場は民主派政党、占領中環の発起人、学生側で構成されていた。学民思潮は、現場の防衛や物資を担う人々の意見も入れるよう提案したという。運動を呼びかけた団体に加え、占拠を実際に支える人々を意思決定へどう結びつけるかが課題になった。

 周庭は10月、精神的な負担などを理由に、学民思潮の広報担当を一時的に離れると表明した。ただし、活動そのものをやめたわけではない。2017年の『立場新聞』の取材で、彼女はその後も占拠区に泊まり、学聯、占領中環の発起人、民主派政党や市民団体との連絡・調整を担ったと説明している。人前で発言する仕事を離れた後も、団体同士をつなぐ役割は続いていた。[12][13]

 10月21日に政府との公開対話へ臨んだのは、学聯の代表5人だった。後に香港衆志で黄之鋒らと活動する羅冠聰(ネイサン・ロー)も、その一人である。政府は学生運動の要求や社会の意見を中央へ報告することなどを検討するとした。しかし、選挙制度の改革は8月31日決定の枠内で進めるとの立場を維持した。[14]

 学聯、学民思潮、占領中環の発起人は、政府への返答を占拠区での「広場投票」にかけようとした。政府が中央へ出す報告に8月31日決定の撤回要求を盛り込むことや、選挙制度を話し合う場で公民提名などを求める案への賛否を尋ねる計画だった。しかし10月26日、投票は見送られた。商業電台の同日報道によれば、内容や方法に異論が出る中、主催側は準備が性急で、各占拠区との相談が足りなかったと認めた。黄之鋒も支持者に謝罪した。[15][16]

 学生団体は市民に街頭へ出るよう呼びかけることはできたが、多様な参加者の意見を調整し、全体として合意を得ることは容易ではなかった。政府に伝える要求を投票で確かめようとしても、その設問や手続きを誰が決めるかについて、まず現場の納得を得る必要があった。

占拠が終わっても残った問い

 占拠が長期化し、選挙制度をめぐる対立が解けないなか、12月1日、黄之鋒と当時17歳の黄子悦、もう一人のメンバーの計3人がハンガーストライキを始めた。黄子悦は当時の取材に、さまざまな方法で政府と意思疎通を図っても成果がなく、膠着した状況で圧力をかけたいと説明した。黄之鋒も、10月の学聯と政府の対話に続き、今度は学民思潮との公開対話を求めた。[17]

 しかし黄之鋒は、体調の悪化を受け、12月6日、約110時間で絶食を中止した。政府は政改手続きのやり直しには応じない姿勢を示した。絶食は2012年にも取られた方法だったが、今回は香港政府による教育政策の変更とは異なり、全国人民代表大会常務委員会が定めた選挙の枠組みが争点だった。香港政府だけでその枠組みを変更することはできず、政府側も8月31日決定に従って改革を進める立場を維持した。[18]

 11月から12月にかけて占拠区は順次撤去され、12月15日には銅鑼湾の拠点もなくなった。学生や民主派が求めた形の普通選挙は実現しなかった。学民思潮には、知名度の高まりとともに、長期の活動による疲労と、次に何を目指すかという問いが残った。占拠区で毎日顔を合わせていた参加者も学校や仕事へ戻る。街頭で続いた共同生活を終えた後、どのように集まり、方針を決めていくかが問われた。

 学民思潮は、中高生を動員し、他団体と協議し、政府への要求を示すことができた。一方、広場投票の見送りが示したように、活動に参加する市民の意見を一つにまとめられるわけではなかった。選挙制度を変えるという目標が残る中、学校へ戻った参加者とどう活動を続けるか。運動の規模が広がった後に、学生組織の役割を改めて考える必要が生じた。

引用文献

[1] 「港中学生组织学民思潮宣布9.26罢课」美國之音、2014年9月14日。
https://www.voachinese.com/a/hk-middle-school-strike-20140914/2449131.html

[2] Secretary for Justice v Wong Chi Fung, Law Kwun Chung and Chow Yong Kang Alex, FACC 8–10/2017、香港終審法院判決概要、2018年2月6日。
https://www.doj.gov.hk/en/notable_judgments/pdf/FACC8-10_2017e.pdf

[3] “Opening remarks by CS at LegCo House Committee special meeting on constitutional development public consultation reports,” 香港政府、2014年7月15日。
https://www.info.gov.hk/gia/general/201407/15/P201407150617_print.htm

[4] 「立法會二題:全國人民代表大會常務委員會關於行政長官普選問題的決定」香港政府、2014年10月15日。
https://www.info.gov.hk/gia/general/201410/15/P201410150563.htm

[5] 「與學聯坦誠對話 符社會大眾期望」香港政府新聞網、2014年10月21日。
https://www.news.gov.hk/tc/categories/admin/html/2014/10/20141021_175738.lin.shtml

[6] UK House of Commons Foreign Affairs Committee, The UK’s relations with Hong Kong: 30 years after the Joint Declaration, 2015年3月6日。
https://publications.parliament.uk/pa/cm201415/cmselect/cmfaff/649/649.pdf

[7] 「二次佔領公民廣場的學生自決與包袱」誌 HK FEATURE、2021年5月31日。
https://hkfeature.com/interview/二次佔領公民廣場的學生自決與包袱/

[8] “Hong Kong’s umbrella movement: A timeline of key events one year on,” ABC News, 2015年9月28日。
https://www.abc.net.au/news/2015-09-28/timeline-hong-kong-umbrella-movement-one-year-on/6802388

[9] 「人大公布『落閘方案』惹來漫天烽火」自由亞洲電台、2014年9月1日。
https://www.rfa.org/cantonese/news/HK-protest-09012014095111.html

[10] 海彦「香港罢课移师政总学联促特首现身回应」美國之音、2014年9月23日。
https://www.voachinese.com/a/students-demand-dialogue-20140924/2459093.html

[11] “Hong Kong Students Clash With Police,” TIME, 2014年9月27日。
https://time.com/3434099/protest-arrested-hong-kong-democracy-students-occupy-central/

[12] 「占中內變 學民思潮發言人辭職」中央社(蕃新聞掲載)、2014年10月11日。
https://n.yam.com/Article/20141011611173

[13] 「【專訪】做議員,周庭可以嗎?」立場新聞、2017年12月7日。
https://collection.news/thestandnews/articles/67877

[14] 「政府考慮向中央提交民情報告」香港政府新聞網、2014年10月21日。
https://www.news.gov.hk/tc/categories/admin/html/2014/10/20141021_201636.lin.shtml

[15] 「佔中團體擱置投票」商業電台、2014年10月26日。
https://www.881903.com/news/amp/local/1982614

[16] 「占中廣場投票 臨時喊卡」中央社、2014年10月26日。
https://www.cna.com.tw/news/acn/201410260161.aspx

[17] 「學民思潮3名成員宣佈無限期絕食」自由亞洲電台、2014年12月1日。
https://www.rfa.org/cantonese/news/Hk-strike-12012014110320.html

[18] 「再多兩人停止絕食 政府:不可能重啟政改」TVB新聞、2014年12月6日。
https://news.tvb.com/tc/1074704-再多兩人停止絕食政府不可能重啟政改